平和を願ういのちの音楽会

2004年のコンサートに寄せられた言葉

「爆弾を撃ち込む側に立った国」の市民として

 セイブ・イラクチルドレン名古屋は、戦争被害・戦争後遺症に苦しむイラクの子どもたちに医療支援を行う団体です。
これまで、イラク現地に薬を届けたり、患者さんを日本で治療したり、イラクの将来を担う医師らを研修に招いたりの活動をしてきました。
小さな団体ですが、「爆弾を撃ち込む側に立った国」の市民として、罪なき子どもたちの命を少しでも救いたいという思いで活動しています。
 苦しい治療に耐えてがんばるアッバース君、朝早くから夜遅くまで研修するアサード、モハメド両医師。彼らの真摯な姿から、先進国の戦争の罪深さや平和の大切さ、いのちの重さを感じる毎日です。
 豊橋の方々には、これまでもたいへんなご支援をいただき、本当に感謝しております。今後ともよろしくお願いいたします。

  セイブ・イラクチルドレン・名古屋 代表 小野 万里子

 

音楽家としてできることを!

 今から22年ほど前、地球規模での核兵器廃絶の運動の中で日本に「反核音楽家たち」という組織が生まれ、次々に「反核○○の会」というような、各分野を代表する専門家の人たちが、思想信条を問わず、核兵器をなくそうという一致点で、平和を求める声をあげ、ボランティアでの音楽会を続けている。
 そして今、罪もない人々の命を奪い、傷つけている超大国の道理のない戦争に対して、私たちはそれを傍観せず、プロもアマチュアも、共に出来る行動をしようと東三河地域で昨年から音楽会を通して意思表示をしてきた。
 立派な平和憲法を持つ国だからこそ、率先して世界に平和の風を吹かせていきたい。

  作曲家 藤村 記一郎

 

戦争を知らない人達へ

 1931年に始められた「満州事変」以来のいわゆる15年戦争の渦中に私は育った。
37年の「支那事変」で、豊橋の歩兵第十八聯隊は上海に出征、大手通りから広小路をへて駅へいたる沿道は市民のバンザイバンザイの歓呼の声で沸き返った。
しかし、同聯隊の戦死者は3ヶ月で1,200人にも及び、私達は連日のように「英霊」という名の遺骨の帰還を出迎えた。
悲しいラッパの音、白布に包まれ戦友の胸に抱かれた遺骨、遺骨、遺骨。それに続く喪服の遺家族(老父母、若い妻、幼子)の葬列を見て、胸が凍るような衝撃を受けたのは私の6年生の時だった。
 それから8年間、日本とアジアにもたらされた惨禍のむごたらしさ、私たちはそれを忘れることはできない。
アメリカもヴェトナムでは手痛い教訓を得た筈であった。にも拘わらず、それがまた繰り返されようとしている。
黙っていることはそれに手を貸すことになる。
戦争反対、海外出兵反対の地下水がやがて奔流となることを願って−−−。

  実行委員長 石田 康太郎

 

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